エニシングイズポッシブル

アイアンマンチャンピオンシップinハワイに出たい46歳くらいの女性のブログ。ランニング歴7年目。水泳を習って4年目。バイクは2年前に購入、去年からZwiftを導入。仕事はマッサージ師。🏳️‍🌈FTX

慈悲深く生きるとはなんだろう?

私は瞑想をしていて、それは20歳くらいからなんとなく始めて、お寺で坐禅をならったり、瞑想の講座を受けたり、CDのガイダンスをしつこく聞いたりして、とにかく瞑想から離れたことはなかったように思います。時々手薄になることはありますが、私にとって瞑想なしの人生は畜生道といっても過言ではありません。それくらい自分をコントロールできない時期がありました。感情は暴れまくる猛獣のようです。自分も他人も傷つける時期がとても長くて、それを引き止めるのに最適なのが瞑想でした。

今、自分にとって瞑想の過渡期です。

黒から白に変化してホッと一息ついてるのが今です。基本的には優しく穏やかになりました。そういう居場所も見つけました。黒に近づかない方法も覚え、自分に複雑な感情が巻き起こるときもふと我にかえることができるようになりました。

しかし瞑想にはその先があります。白黒ではなく、慈悲深い気持ち、与える愛に生きるというステージです。

子供の頃に優しくしてもらった、育ててもらったから親孝行をするというのは筋が通ってるのですが、DVを受け、いまだに無心してくる親に対して慈悲深くなれというステージです。

顔を見るのも、電話で声を聞くのも嫌です。嫌というよりも怖いのです。早く死んでくれないかなって本気で思います。そんな親に対して慈悲深くなることが瞑想をしていると求められている気がします。

特別にお金を出したり介護をするということではありません。それは親のためにもなりませんから。そうではなく、私の心持ちを試されているのです。嫌いな人、苦手な人に対する自分の位置付けがわからない。怖くて戸惑うけど、その位置を明確にして、迷わず生きる。まっすぐ進むことを、もし偉大な存在があるとしたら試されているのです。