瞑想とトライアスロン
酒と四つ足を食べる人はヨギーにあらず。
かなりの爆弾発言ですが、私は20年以上前からけっこう真剣に瞑想をしてて、その頃のヨガの本は宗教色が強かったし、私もまだまだ純粋だったので、簡単に洗脳されてしまいました。サットバかどうか?そんな基準で物事を見ているところがあります。
ところが現代のヨガは宗教ではなくフィットネス。私が古臭く、怪しいタイプになってしまいました。
あえてフィットネスヨガには寄らない。硬派な瞑想が好きです。伝統的で筋を大切にする 瞑想をしていて、ヨガではありません。坐禅でもありません。
フィットネスヨガを否定はしないけど、なんとかフラペチーノやワインのボトル、焼肉の写真をインスタでアップするヨガのイントラをみて、しかもそれが親しい友達なので胸が痛みます。黙ってます。友達のことを応援したいから。
私が教える立場なら、酒も肉も断ちます。仕方ない。今生で瞑想を教えることはないでしょう。瞑想を教えるならトライアスロンを辞めるのが筋です。今はトライアスロンしたいし、ビールと餃子はセットです。
ただそんな翌日の瞑想は形ばかりで、瞑想にはなりません。酒を飲むと2日間は瞑想の質が落ちます。そういうことなのです。瞑想をしても、酒が体に入ると全く次元が変わるので、本気で瞑想するなら、酒は飲めないんです。
アプリを使ったガイド付き瞑想ではなく、もっとガチな瞑想のはなしです。
そんな訳でヨガも、もし精神性を謳うなら、サットバを心掛けるべきでは?それが筋と思ってます。
人のやることに苦言を呈しているのではなく、「ヨガ」という一括りは分かりにくいだけだと思います。ヨガ発祥の地、インドではヨガは一括りに宗教の精神修養法です。今、世界ではフィットネスのヨガが主流で、わかりにくいので、私自身が時代の流れに取り残されて、混乱しているだけ、とも言えます。
瞑想をする前に家の中の拭き掃除をします。
ひとしきり拭き終わったら、瞑想の師が書いた本を朗読します。お経を唱えるようなものです。私に欠けている道徳心を振り返り人間として何をすればより良く生きられるのか?を見つめます。
そして頂いたマントラを心の中で108回唱え、そこからヴィパッサナー瞑想をします。
疲れ過ぎててできない日以外は必ずやってます。瞑想に出会わなければ私は人間じゃなかったです。
もしかしたら、なのですが、先のことはわかりませんが、私がトライアスロン、ironmanでハワイに行けたら、そこから先は瞑想の世界に入るのかな?なんて思います。ironmanをするのは子供の時の夢を叶えるためです。
子供の時に物凄く辛かった。親に殺されるのでは?と思いながら生きていたので、子供らしいことができませんでした。怒られる時に暴力を振るわれ、ご飯を食べさせてもらえなかったり、冬の北海道なのに家の外に放り出されたり、水風呂に頭を沈められたり、髪の毛を掴んで家の中で引きずられたり、そういう状況だったので、部活もできず、スポーツのシューズやソックスを買って欲しいといえなかったのです。
今はそんな自分を癒すためにトライアスロンに挑んでいます。外に出て季節を楽しむのが好きだけど、走ることも楽しいけど、「大好き」ではありません。スピードを求めたら苦しい。体にも悪いです。ジョギングは好きですよ。
でも折角だから結果を出して、人に褒めて貰いたい。ここは子供のままです。できるんだね!と褒めて認めてもらえたら、もうそれだけで大満足です。子供の時にやりたかったのは、運動して頑張って褒めて貰いたいってことでした。
そして、瞑想の世界に入るのかな?と
ふと、思ったのでした。
実際にはやってみないとわかりません。ずーっとトライアスロンやりたい、餃子とビールから離れられない人生かも知れません。