嫌がられる話
早く死にたいっていうのが心の中の口癖。
25年以上前に3回も未遂して、生きるより死ぬのは大変だな!と納得したから、もう自死はないけど、早く死にたいって気持ちは常にある。
この世に未練がない。今は幸せだ。
生きるって誰のために?何のために?って思っている。
トライアスロンも仕事も楽しいけど、やらなくても誰にも影響しない。
家族も一緒に働く仲間もいないし、自分が地球の中でいてもいなくてもどっちでも良い気がする。
あまりに無力を感じると危ないから、人に役立つ「振り」をしている。どこかで繋がろうとしてるけど、繋がりたい!って強く思っている訳じゃないな。
人が一人くらい欠けても、穴が開くのは一瞬だよ。
仕方ないから働くし、仕方ないからトライアスロンをしてる。
手足がなくなっても、目が見えなかったり、不自由になってもそれなりに幸せでいる気がする。
障害者のYouTubeをよく見る。工夫して生きてる。糞尿を撒き散らさないように工夫してます!って動画を撮っている。感覚はないけどセックスはした。とかそんな話で何万回も再生されてる。
見てくれた人のコメントやいいねというリアクションで、生きてる意味を感じてるから続けているんだろうな。
私がsnsにハマるのもそういう感じかもしれない。もう少し具体的な繋がりがないと「死にたい病」は治らないな。
私が消えても誰の生活も変わらないからね。
いわゆる死を仄めかすブログではないよ。
ねこを小脇に抱えて、モフモフして心地よくて幸せだなぁ〜と思う時、いきなり孤独死したら猫にご飯あげる人いなくなるなって思う。
それ以外に私を引き止める具体的なことはない。
今はそこそこ幸せで、どうやったらこの幸福感を人に伝えられるのか模索してる。
それ以外に生きる意味はないだろう。
でもその必要性はわからない。誰も必要ないのなら、私もそろそろおいとましたい。
毎日そんな感じです。