隠れる人生
オリンピック観ながら、皇居を走りながら思う。人生は一瞬の繰り返し。コレからが勝負。
MGC とか2020年の東京マラソンをとある人と一緒に見た。その人とは疎遠になった。しかももう会いたくないと思っているだろうけど、そんな人生は可哀想だなぁと、余計なお世話だけど、たまに思ってる。
会っても会わなくてもどっちでもいいけど、私と一緒に走っていた時、いろんな人から逃げていた。会いたくない人を避けるように、会いたくない人が住んでいる地域を走る時はサングラスを深くかけて、顔を伏せて走っていた。
せっかくなんだし、挨拶くらいしたらいいのにって、その時は思っていた。
今となって、それを目の当たりにすると、多分そうやって私を避けているのがわかる。
自分の黒歴史を伏せながら生きるのは嫌だな。
個人感情だけど、私は日の当たる場所を堂々と生きたい。
私が同性愛とか育ちが悪いとか頭が悪いとか、そんなことは何も恥ずかしくない。毎日楽しいし、幸せだから。
だけど走る時、隠れる人を思い出して、少し苛立つ。
無関係のランナー大迫が大嫌いになって、そんな自分に苛立つ。隠れる人の推しに対してヤキモチだとしても、考える僅かな時間が勿体無くて、苛立つ。そんな自分がとにかく嫌だ。
だから男子マラソンは見ない。TLも見たくない。嫉妬するなんてバカらしい。
でも自分の性別によって嫉妬心は必ず出てくる。
この悔しさをバネにする。
っていうポジティブシンキングに儚さを感じる。