エニシングイズポッシブル

アイアンマンチャンピオンシップinハワイに出たい46歳くらいの女性のブログ。ランニング歴7年目。水泳を習って4年目。バイクは2年前に購入、去年からZwiftを導入。仕事はマッサージ師。🏳️‍🌈FTX

北見ハーフマラソンまで2日

去年までマラソン大会に出たら必ず自己ベストを更新してた。フルが3時間38分でハーフは1時間43分がベスト。今年は5年目で、去年疲労骨折したり、春夏とスイムメインに練習してたから、走りこんでいない。だから練習でも去年みたいなタイムが出ない。

【人類の進化に想いを馳せるランナー】

今回の目標タイムは1時間50分。今の実力からすると、ギリギリ。目標だから甘くなく、キツすぎないギリギリで。

普段の練習でも目標設定は大切だね。自分に約束をして、最善を尽くそうと心掛けて、それを超えていく感覚。毎日そうやって成長するんだね。

去年のフルマラソンで3時間38分が出たとき、40kmの練習を3回した。トレイルも入れた。その練習の中で、毎回早くなるのがわかった。人間のスタミナってすごいよね。自分に課せられてる仕事というか、運動量に合わせてカラダが勝手に調整してくれるようにできている。

そうなるとマラソン大会の自己ベスト出たー☆イェーイwじゃなくて、人類の神秘を感じる。課せられた仕事、自然の中で生き、大切な家族を守るために体を使うしかできない人類が勝手に進化していく。ランニングで自分を超えていくときに、そんな人類のロマンを感じているのね。ちょっとへんかもしれないけど、昔の人は凄かった!って頑張れば頑張るほど思う。

そんな妄想は仕事するときに、とても役立つ。頑張る人を、頑張る体をもっと応援したくなる。目の前の人が今を超えることができる!って心から信じてモミモミしている。そんなこと一々言わないけどね。かなりの頻度で考えてます。

【レースの良さ】

ラソン大会で見知らぬ人達に囲まれて、抜きつ抜かれつゴールに向かって走る。序盤で抜かれた時は「今に見ておれ。後で差し返しに行くぞ。」と思う。そういうときは実際にそうなる。序盤に飛ばしすぎた人は後でバテるから自然に追い越す場面がやってくる。

最後の1kmくらいで抜かれると心境が違う。「あの人は私よりもたくさん練習したんだ。」自然に【サレンダー】な感じになる。尊敬の気持ち。そこに悔しさはない。特にゴール間際なんて生きるか死ぬかの疑似体験か?ってくらい肉体的には苦しいわけで、それ以上の何者でもないから、悔しさなんて微塵もない。

そんなレースがしたいなーって思う。

【嫉妬】

嫉妬で悩んだ。嫉妬される側になった。お付き合いした人に仕事もトライアスロン三種目も何をやっても応援されないどころか、イヤミを言われた。練習しても、レースに出ても5年目にして、モチベーションが上がらないなんて!好きな人に応援されないと、こんなに力が出ないなんて!モチベーションを上げるのは自分の責任だけど、限界を感じた。

いろんな人生があって、いろんな価値観がある。でも自分に嘘をついたらいけない。やりたくないこともある。こんなはずではなかったってこともある。その中で生きていくことを決めたのなら心血を注いだらいい。魂を売るほど頑張ったらいい。そんな生き方が大好きだ。

彼女はふとした瞬間に、自由気ままに生きている私を腹立たしく思うらしく、矛先が向いて「理不尽」なことをいう。全部を理不尽というと申し訳ないけど、理由が分からなくて、友達に「こんなやり取りがあったけど、どう思う?」と相談することが何回もあった。その度にびっくりされたから、私の言ってることがそんなに的外れでもなかったと思う。

仕事と趣味の両方を貶す。彼女と知り合って週一ペースか?ってほど、そんなやりとりがあった。

ちゃんと向き合った。しかし彼女に合わせたら私の人生に嘘をつくことになる。ベストな状態で患者さんにもレースにも挑みたい。正直に生きたい。

そんなわけで先日、彼女の家から荷物を引き上げてきた。

【悔しさをバネに】

私の恋愛履歴書の中で「サラリーマン」とお付き合いしたことは少ない。ゼロではないけど一瞬くらいで、サラリーマンだなぁと実感するほど生活を共にしたことはなかった。友達にはいるけど、友達でも恋人でもお付き合いでお金のことを具体的に話すことはなかった。40過ぎのお付き合いだと収入や将来、老後の話が出来て、それはとても楽しかった。その際、私の金銭感覚はとても子供っぽいくて恥ずかしかった。自営でシンプル会計でお小遣い帳のような生活を20年くらいしてる。大人との違いは将来のことや、家族のことを思いやることなのかな?具体的にはわからないけど、彼女はしっかり貯金していた。それがもの凄くカッコ良かった。そんな人を目の当たりにしたことがなかった。

友達には沢山いる。勤め人で手取り1000万越えの人が都内にはゴロゴロいる。だけど友達とはそんな話はしない。たまに不動産を買ったとか、株を売ったと聞くけど、友達も相手を選んで話の深さを変えてくる。要するに私にはそんな話はしない。それに不便もないし、イヤミでもない。なんとも思わなかった。それでいいと思う。

でもパートナーと老後の話をした時に具体的に話を詰める。お金の話はとても大切で、そうなると私はお粗末なものだった。情けなかった。

彼女と知り合ってなんの意味があったのか?って考えていたけど、とりあえず今はお金にまつわる悔しさが私を奮い起こすことがわかった。サラッと流すこともできる。でもあえて、そこにこだわろう。今なら駆け上がる元気がある。

具体的な方法よりもお金に対する考え方を書き換える必要がある。私はお金に対してネガティブなイメージが強い。でも今年中にそれを書き換える。何をするか?ってことは情けないから書けないけど、それくらい子供騙しな方法で自分を繰り返し躾けたい。成功したら言ってもいいかな。

こんなに他人にとってどうでもいい文章を書いてるけど、この微妙にだれか見てるかもしれないってのがいいんだな。

あと、彼女と出会ったことの意味はこんなことではないのも分かっている。もうちょっと真理と言えるような理由があるはすだから、考える意味がある。