エニシングイズポッシブル

アイアンマンチャンピオンシップinハワイに出たい46歳くらいの女性のブログ。ランニング歴7年目。水泳を習って4年目。バイクは2年前に購入、去年からZwiftを導入。仕事はマッサージ師。🏳️‍🌈FTX

耐乳酸と特養巡り@北見

耐乳酸の前日は普通に仕事して、そのあとクラブに行った。f:id:kumassage:20190529093122j:image

朝5時まで踊り帰宅。ソファでうたた寝したのち、浅田真央ちゃんのアイスショーへ。ほとんど寝ないで疲れたおばさん顔。

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その足で耐乳酸レッスン。

寝ないで耐乳酸レッスンを受けた。完全にスケジュールミスしてます。

耐乳酸をよくわかってなかった。プールから上がれないほど肩から手先まで疲れて、どうにか足で上がったけど、プールサイドで横になってしまったほど出し切った。一緒にレッスンを受けている人たちの方が泳力がある。それについていくのに必死だった。

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耐乳酸の後にもんじゃ行った。食べてる時は美味しくて夢中でたべてて、写真撮り忘れた。

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怒涛の土日を過ごし、月曜の朝は7:10の飛行機で女満別空港へ。女満別空港は網走の近くで私の実家の北見に近い。早朝から腹を下したけど、土日で飲んだから仕方ないわね!くらいに思っていた。土曜のクラブは4杯飲んで踊り、日曜のもんじゃはサワー2杯とセーブ。でもスケジュール過密のためにレッドブルを連日飲んでた。普段出ないグループレッスンだったので人の足を引っ張ってはマズイと気を引き締めて、猛烈に頑張った。

その疲れが出て北海道の二日間は肋骨の間と脇腹の筋肉痛になって、ひどくお腹を壊した。いわゆる胃腸炎なのかな?鼻をかみすぎると鼻の周りが痛くなるけど、トイレに行きすぎるとお尻の周りも痛くなるのね。ウォシュレットもなるべく使ったけど、やっぱりしっかり拭おうとする。それの繰り返しでケツが痛い。情けないというかさ。でも痛いもんは痛いから仕方ない。

その中で特別養護老人ホーム巡りをした。10件。やることは同じで地域によっては一度で全部申請できるらしい。でも北見市は違う。二日間、腹を下しながらレンタカーで申請書類を書いて説明を受けてきた。5年待ちと言われているが、父の場合はいろいろ要件が揃っているので、そのうち見つかるのかな?興味がないから焦ってもいない。かわいそうとか、なんかしてあげたいって思っていない。なるようになる。

父といた時間は正味15分だったけど、病院の文句ばかり言ってた。そりゃ病院を出されるよ。

あの人は子供時代は田舎の山奥で神童とまで言われたらしい。目が輝いていたと祖母が自分の息子を誇らしげに話してた。度胸も優しさもあって武勇伝が山ほどある。貧乏で定時制の高校にいって川崎製鉄集団就職した。そこでも業績が良かったと自慢してた。他の人と同じ給与に我慢できず飛び出し飲食店、水商売をするけど、あの人が働く店はとにかく儲かったと、ここでも自慢する。自分でやった店も儲かった。そしてとにかく女にモテたという自慢もする。若い頃のあの人にはカリスマ性があったと思う。

ここまでは良かった。でもたぶん勘違いしてしまったんだな。世の中簡単だ、みんな言いなりになるって思ってしまったんだ。趣味のクレー射撃、魚釣りや狩猟が好きでよく行ってたけど、私が小学校に行く頃から仕事とのバランスがおかしくなっていた。それに女遊びがひどくてウチに帰ってこないことは当たり前になってた。それのせいで母は完全にアル中になった。

子供の目からみた家の様子はそんな感じ。

実際の夫婦のことはわからないし、私の両親は「家庭」ではなく夫婦と子供という単位で考えていた気がする。私の居場所はなかった。母も夫婦仲がよければ子供は勝手に育つと飲みながら話しているのを聞いたことがあった。子供ながらに矛盾を感じてそのセリフを覚えている。

今更のようだけど、もっと子供の頃の私の話も聞いて欲しかったなぁと思う。子供が何を考えて、何に興味があるのか、知ってほしかった。

親は自分の子供がどの教科が得意で、どんなスポーツが好きかってことも知らない。成績を見て1位じゃないと怒った。順位が一桁でもまだまだ勉強が足りないと言われ続けた。成績が平均以下になった中2の時、髪を掴んで家の中を引きずり回され、それ以来夏や冬休みに軟禁され、家から一歩も出させてもらえなくなった。

親のことを憎む気持ちはあるけど、好きな気持ちもある。それくらいに親子の仲は切っても切れない因果関係だね。いろいろありすぎて悩み過ぎて、ふと気づけばここ数年で楽なところにスーッと乗り上げたというか、着地できた感じがする。上手いこと切り離しができた。だから40くらいまで逃げないで悩んで良かった。

一つだけ心配なのはお金にまつわる親族との仲のこと。父はそのうち生活保護を受けるだろう。子供の目からみて、なるべくしてなった状況。遊びに勤しみ、額に汗して働く人を馬鹿にしていたから仕方ない。そんな人には1円も出したくない。出す気もない。それを親族に責められたり、怒られたりして、好きな叔父や叔母と不仲になっても、私の意思は変わらない。しかし今までお年玉をくれ、お祝いをしてくれ、入院したらお見舞い金を送ってくれた親族との仲が壊れることは忍びない。電話もしてこない親よりも気をかけてくれた人だから恩がある。

 

話が暗くなって終わるのはイヤだな。

下痢ピーなのに10件の特養老人ホームを回ってエライでしょ!と自分を褒めたくて書いた。

もうそれだけだ。やれるだけやったから、自分の人生に満足だ。私の人生は誰にも生きることはできないんだから。