我が生涯に一片の悔いなし
今年はこんな感じです。今死にたいくらい生涯のピークを感じます。
この心境の時、生涯全てに感謝が溢れます。
腹が立つこと、悲しいことに意味があって自分で書いたシナリオだったなぁと思えます。
明日、起きなくてもいいです。
ネコが生きてるうちに、発見してください😁
でもきっと朝がやってきます。
ビジネスアワーの前に一件、訪問してトレーナーをします。
そのあと出勤して登山好きな男性のマッサージをします。
そのあと妊活治療して
友達とごはん食べ
パリから戻った社長さんのマッサージして
ゴルフに夢中な女子のマッサージして
人に頼るのが苦手な私が思わず頼ってしまう人にひまし油湿布をします。
だから簡単には死ねないのです。
子供の時に将来なりたかった職業は
医者
獣医
冒険家
ボランティア
でした。文集に残ってました。
偉人の伝記を読んでシュバイツァーと北里柴三郎と野口英世に憧れて、医者になりたい!と思いました。
動物図鑑が大好きだったし、金曜にやってた野生の王国をかぶりついて見てました。
ムツゴロウさんや漫画動物のお医者さんを読んでました。
それで獣医を目指しましたがお金も学力もなくて新聞奨学生をしました。
でも失恋して鬱病になって中退してしまいました。
冒険家は植村直己に憧れました。犬ぞりで南極大陸を横断した話が一番好きでした。
大人になって、身近な人に心配される職業はできないなと、冒険家になりたい気持ちはフェードアウトしました。
それではりきゅうマッサージ師になった訳ですが、子供の時の夢が叶ったような気がします。
医者ではないけど、人の健康に向き合うことができ、冒険家ではないけど、トライアスロンを通じ自分の限界や新しい心境にも出会えます。
「人類がみんな出来ることだ」
と。人間の可能性を感じます。
自分がゴールして感動したり、ホッとするのは、自分だけのストーリーがあるからです。
練習したり、そのために協力してくれた人たちへの気持ちで思わず泣いてしまう。
でも号泣するのはたかだか1分くらいで、そのあとは「これは誰にでも出来る。人類の可能性だ。」となります。
走りたいか?走りたくないか?の意思はあります。別に走ることが大道ではありません。食事を変えたり、生活習慣を変えたり、なにか出来る。
健康目線だと、目の前の人は元気になる可能性がある。信じて待とうと腹を決めるとワクワクしてきます。
さて、最後に、ボランティアという職業が文集に残ってたことについて。
黒柳徹子が24時間テレビに映り、貧しい生活、キャンプ?難民?のレポートしてるのをみて、その職業を「ボランティア」と思って書いたものです。
これだけはまだ叶ってません。人のためになにかしたい。それがやっとできるスタート地点に立った気がします。
マザーテレサ の言うところの「犠牲を払う」というやつです。日本語だとネガティブな犠牲を払うですが、自分のことは一旦棚に上げて置いて、人のために尽力するというのは、母性愛かな?と思います。
まだよくわかりません。
アイアンマンから戻って、職場のTwitterを発信する頻度を上げたのが、ボランティア精神を発動しようとしてのことです。
自分のことではなく、他人のことを考える時間を増やす。塵のようなつぶやきも、きっと意味があると信じています。
ボランティア精神が「一片の悔い」なのかもしれません。まだ死ねません。