飢えているから出来ること
子供の頃、隣の赤い屋根の家に同級生のYちゃんがいました。mさんって家。mさんのお父さんは工業大学の教授で、お母さんは専業主婦。同級生は長女で下に弟と妹がいました。
Yちゃんのお母さんは庭で無農薬で野菜を育てて失敗したとか、車の免許を取って納車した日に壁に車を擦ってみたり、なかなか行動的でユーモアのある人でした。
そんなYちゃんのお母さんは3人の子供にピアノとバイオリンを習わせて家で三重奏を聴くのが夢なの!と私の母に話していました。当然、隣の我が家までピアノやバイオリンの練習の音が聞こえるのですが、子供の楽器の練習だから…ヘタな訳です。特にバイオリンなんて酷くてね。
それとは別にYちゃんのお母さんの趣味なのかクラッシックのレコードの音がよく聞こえて、私は素敵だなぁと思ってました。
ところが私の父親はクラッシックをバカにするというか、からかうのです。
なんだありゃ、うるせーな。ヘタクソだな。
高尚だねぇ〜と揶揄し続ける。あんなもん役に立たねぇと。
人をからかうのは父の悪いクセですが、今思うと楽器を持っている子供がいない北海道のド田舎で生まれ育ち、ビートルズブームの時でさえギターも身近になく、ホウキで弾いてるマネをしたという父がクラッシックにアレルギー反応を示したのかもしれません。
それにしても夏になって窓を開ける季節はクラッシックがよく聴こえてきました。
我が家には楽器どころかレコードもテープも聞けるようなオーディオはありません。テレビだけ。中学の時にお年玉で買ったCDラジカセは私の学校の成績が悪く、逆上した父親にコタツの角で叩き破られてしまいました。
本も指定図書の感想文を書くために本を買ってもらった以外は、人から貰った百科事典しかありませんでした。絵本なんて一冊もありません。親の部屋にエロ本はありましたが…
それで歩いて30分の図書館まで行ったり、児童館のマンガを読んでました。
なんでこんなことを書いてるかというと、子供の時に文化や芸術に飢えていたなぁと、ジワジワ思い出したからです。
先日こんな本を読みました。
テルマエロマエの著者ヤマザキマリさんがヴィオラ奏者のお母さんについて書いた本です。とても面白いからオススメします。
で、これを読みながらヤマザキマリさんのインスタをフォローして、そこに写るイタリアのワインについて、コレはぶどうの名前なのか?それとも地名なのか?どこで買えるのか?と調べたり、マリさんのお母さんが演奏していたシベリウスをSpotifyで聴いてみたりしました。
それで芸術や文化に飢えていた自分の子供時代を思い出しました。
現在、のめり込むほど好きなのは、走ったり泳いだりする方ですが、音楽も読書も今なら好きなだけ深めることができるんだなぁ〜と。
せっかくだから文化、芸術の側面も楽しみたい。せっかく生きてるんだから。子供の頃からの飢えを満たしたい。
そんな二日酔いの朝でした。