7/21 希望について
新月に願い事を書いてる。昨日、そういう日だった。todoを書くと6割くらいは実行する。
人によっては10割を超えないと気持ち悪いから書かないとか、少なめに書いて十二分に出来た時、満足するらしい。私は起きた時から希望に満ちていて、やりたいことが山ほどあるので、全部書きたい。その中で6割も出来たら立派だなぁ〜としみじみ自分を褒めている。閾値が低めだ。
昨日21にやったことで自分を褒めたいのは読書だった。ほとんどを朗読したので読み進むページは少ないけど、音読すると人に諭されているような、著者に話してもらっているような充実感があって好きだ。
10分づつ4冊読んだ。
解剖生理で原子、分子、化合物、イオン化、電解質、触媒について。
ひまし油湿布の研究を長年した医師の本。
日野原重明先生か書いた本。
40分も音読すると腹式呼吸になって、精神的にも整う。
日野原先生の本はすごい。命の重み、人生について心に響くことしか書いてなく、私利私欲がなくて重みがある。そして暖かい。
願望と希望は違うというところを読んだ。
願望のことは忘れたが、希望は覚えてる。希望は控えめなんだと。終末医療の場で日野原先生が感じた表現があまりにも素敵で、感慨深かった。
だから新月に願い事を書く習慣は続ける。毎日、毎朝のtodoリストも続ける。
それを希望リストとして謙虚に控えめに言葉にして、後は自由に表現して生きるだけだな。
願望として完了形で書くのも悪くない。
〇〇できました。ありがとうございます。
と書くのがアファメーションの作法らしいけど、命の現場においては針穴に糸を通す作業の連続。サレンダーして運を天に任せる以外にすることがないのかもしれない。
病気がなくても突然死ぬかもしれない。メメントモリのまま、希望を持って坦々と、粛々と作業する。
日野原先生の希望について読んでいろいろ考えた。